滞在中は、6日間という限られた時間を出来るだけ有効に・・・と、毎日どこかの美術館に足を運び、ウィーンを代表する画家クリムトやシーレなど、数々の素晴らしい絵画を鑑賞しました。また、ウィーンのカフェは「世界無形文化遺産」ですので、疲れたらカフェで至福のケーキタイムとし(笑)、夜はオペラやコンサート・・・と、まさに充実の日々でした♪
旅に出る前は、ウィーンに行ったからといって、すぐに私のピアノがどうこうなるわけではないけれど、きっと何か感じるものはあるだろう・・・ぐらいの気持ちだったのですが、今回、想像していた以上に大きく変わったのが、私の中のベートーヴェン像です。
ベートーヴェンは、バッハ、ブラームスと並んで「ドイツ3Bの偉大な作曲家」と言われていますが、今、私の中にある新たな疑問は、「ベートーヴェンは、どこまで『ドイツ人』だったのだろうか」ということです。
ブログの「その2」でも書きましたが、そもそも、ベートーヴェンのお祖父さんは、ベルギーのフランドル地方の出身で、それまでのベートーヴェン家の所在地はベルギーでした。また、彼は22歳でドイツの故郷ボンを離れ、その後56歳で亡くなるまで、ウィーンで過ごしています。そのウィーンですが、今回私が感じたところでは、とても優雅で洗練されていて、軽やかな印象。街全体には温かい雰囲気があり、人々もちょっとチャランポランでもあり・・・、と、所謂ドイツの勤勉で質実剛健なイメージとは、かなり違ったものでした。きっとウィーンは、チェコやハンガリー、イタリアなども近いため、様々な人種や文化が融合するゆえの、懐の深さがあるのでしょうね。
また、「ベートーヴェンのイメージ」が変わったきっかけとして大きかったのが、パスクァラティ・ハウスでの試聴です。あの有名な交響曲第5番「運命」の第1楽章を、カラヤン指揮ベルリンフィルの演奏と、クライバー指揮ウィーンフィルの演奏で聴けるようになっていました。カラヤン&ベルリンフィルの演奏は、「あ~、いかにも厳格な、凄みのある演奏だな」と、まさにイメージ通りのベートーヴェン。その後、クライバー&ウィーンフィルを聴いたところ、「あ~、なんと自然で押し付けのない、まさにここウィーンの雰囲気にピッタリの演奏だ!」と感じました。ベートーヴェンの存命中、数々の名曲の初演がここウィーンで行われましたが、ベートーヴェンの聴いていた響きは、もしかしてこんな感じだったのかも・・と、頭をよぎりました。
そこで、今回、記念館で見たベートーヴェンの大らかな筆跡をはじめ、デスマスクの、どちらかというと鼻が低くのっぺりとした顔立ち(少しベルギー人を思い出しました)など、様々な印象を考え合わせてみると、ベートーヴェンって、ドイツ的な堅く厳格なタイプというより、もっと様々な要素の入り混じった、自由で懐の深い人だったのではないか・・・と思ったのです。昔、小学校の音楽室に飾られていた、あの鋭く厳しい表情のベートーヴェンのイメージではなく・・・。なので、演奏する側も、厳格で気高い精神を持つベートーヴェン、と身構えるのではなく、もっと肩の力を抜いて、自然に感じたままを演奏しても、ベートーヴェンはきっと許してくれるだろう・・・などと、そんな印象を持ちました。お墓にもお参りしてきたことですし♪(笑)。
とは言え、生まれてから22歳まではドイツに居たわけですから、きっと根底には「ドイツ的なもの」があったはずです。ベートーヴェンって、本当はどんな人だったのか?という私の中の探究は、今後もまだまだ続くわけですが(笑)、今回の旅では、自分の考えを発展させる手がかりが得られて、とても嬉しい気持ちがしています♪
「生きて会おうね」、という大げさな娘との約束もありましたので(笑)、飛行機が成田空港に無事着陸した時には、本当にホッとしました。家に帰ると、満面の笑みの息子と、涙涙でしばらく身動き出来ないほどの娘。それでも、しばらくするとアッという間にいつもの喧騒が舞い戻り、あのウィーンの日々は全て夢だったのではないか・・・と思うほどです(笑)。それでも、あの6日間は、子ども達にとって「母はおらずとも意外にやっていける」という自信になったようですし、私は私で、「自分の思いを実現できた!」という充足感があり、この旅に協力してくれた全ての人に、心から感謝しています。
これまで長々と読んでくださって、本当にありがとうございました!このウィーンの旅で感じたことが、音を通じて皆様にお伝えできる日を夢見て、これからもがんばっていきますね♪